題名をつけるかもしれない随想
県境の此方から彼方へ
日常を一時停止 旅人に宿る目線
店主ふたりのシーソーエッセイ
ぎっこんばったん
もうひとりが地面を蹴ったら次の文章に入れ替わります
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石橋は叩く人間だと思う(えいやと自営を始めておいてなんだけど)。冒険より安心。喫茶店やカフェも「巡る」よりは「通う」派。
それでもたまの旅先では守りのたがも外れるし、そもそも旅先には普段から通って勝手知ったるお店なんてない(何度か訪れた街にはひとつ、ふたつとできてくるけれど)。開拓者精神。
弘前に行った。ここ数年かけての三度目。ひとりで奈良美智さんの『AtoZ』を観に行ったこともあるけど、それは大昔。ようやくおぼろげに土地勘が身につき始めた気がするけれど、まだ知らないことのほうがだんぜん多い。
事前にアタリをつけていたお店は定休日や臨時休業で訪れることができなかった中で、さてと。どこで一休みしましょうかと。「(前に来た時の記憶で)あそこにあったよね」という妻の提案で、古くて趣のある建物の一角にある喫茶店へ行くことにした。
ビル「ヂ」ングと書きそうなビルの1階。前に来た時は入り口左手のラーメン屋でお昼を食べたけど、この日は右手の喫茶店へ。年季の入ったドアを開けるとまずは煙草の香りに出迎えられた。続いて常連であろうの方々の視線。「あ…(…ウェイ感)」と一瞬たじろいでしまったけれど、一人で切り盛りするママさんがにこやかに迎えてくれた。常連さんたちもすぐまた自分たちの時間に戻る。弘前といえば観光地。カメラを下げた観光客も地元の人たちにとっての日常なのかもしれない。「いい感じに」とこの場合は頭に褒め言葉をそえての「放っておいて」もらえて、二人で本を読みながらゆったり過ごすことができた。ほんとうに感じのいいママさんだった。
「カフェと喫茶店の違い」という話題はしばしば見聞きするし、自分でもたまに考えてみることもある。細分化とラベル貼りが盛んな今のご時世は、色々な切り口で分類できたりもするのかもしれない。でも一昔前の喫茶店は、会話を楽しむ人も、一人静かに過ごす人も、常連も一見も、日常も非日常も、みんなひっくるめて受け止める懐の深さがあったんじゃないのかな、なんてことを思った。
よもやまの話テレビの音煙草ブラックのコーヒーにとけゆく
2026.6.2. up
Text : Igarashi Seiryu-
