題名をつけるかもしれない随想

春の目覚めは 散歩の合図

店主ふたりのリレーエッセイ
何メートルリレーかは決めていませんが バトンを受けたら新しい文章に入れ替わります


 北に帰った白鳥のコウコウという声と入れ替わるようにカワラヒワがキリリコロロと歌い始めると、北国の秋田でもそろそろ散歩も楽しめるか?という日が少しずつ増えてくる。冬の間焦がれた青空が顔を出している。運動がてら店まで歩いて出勤しようか。もう白くない息を軽く弾ませて、少し早足めに歩く。ばっけはそろそろ顔を出すだろうか。チャミ之助・チャミ太郎(猫)は最近見ないな。などと、あちこち見ながら歩いていると、30分ほどの散歩兼通勤は意外とあっさり終了する。


 散歩が好きだ。散歩をしていると晴れやかな感覚でいられる気がする。
 歩くことそれ自体が楽しいというよりは、目にする景色、耳にする音、匂い、発見や体験するものごとに感動を覚えることが心地よい。この場合の「感動」はなにも心震えるような体験とは限らず、というよりもむしろ小さなものごと、たとえばふと目にした花や鳥、草木や石ころのようなものごとに「あ…」とか「おや?」と、心にちょっとした小波が立つこと。仄かな心の動きを知覚できることが心地よい。

 景色のそこかしこに小さな感動の種が散らばっていて、それを見つけられることが楽しい。でもこれは「感動すべきものごと」を「見つけられる/られない」ということでなく、価値観のようなものだと思う(人によってちがう)。そして、そんな小さなものごとを今掬い取れる心持ちなのか(余裕があるのか)という話なのだとも思う。
 僕にとって、散歩で世界の小さな欠片に感動できることはこの上なく心地がよいことだ(コスパもいいよ)。


   呼吸器と循環器とがきらきらと春の散歩の光と音と

 

2026.3.30. up
Text & Photograph : Igarashi Seiryu-